20代後半は女子ではない

都内勤務OLの日常と所感など

20代後半は女子ではない

恋に仕事に友情に大忙し。

はちみつレモンをつくってほしい

夏を楽しまないうち、季節はあっという間に秋になった

秋を認識しないまま  気付いたら冬服を出した

通り過ぎてしまった夏に思いを残したまま、秋まで通り過ぎようとしているなんて。


季節について考える。

どの季節、何年の春夏秋冬に何をしたか思い出すとき、大抵想い出と一緒に、そこに添えられた人がいる。

いつも消してしまうから、アルバム上にはないことになっているし、具体的に何をしたかまでは思い出せない。

でも、あの人と一緒だったなとか、漠然とした記憶が蘇る。ぜんぶ不幸せだったとすり替えていた想い出も、ひとつひとつ紐解けばきっと楽しい想い出になるんだろう。


わたしは決して、思い出すことはしない。幸せだったなと思い起こすことは悪いことではないと思う、けど、思うこと自体が冒涜だと、思う。

わたしは幸せが何かを知っている。満たされる想いを知っている。知ってしまっているから、あの時よりもっとたくさんの幸せを求める。

気付けば何も与えずに。多くを求めて。過去と当てはめて。あの時の方が幸せだったなんて、何も意味がなかった。

幸せについて知っているくせに、当たり前の幸せについてはすっかり忘れてしまっていた。

それを幸せと感じられないくらい麻痺しているのか、こう考えることは毒されているのか、そんな事も知りようがない。


わたしは、わたしの。思ったように生きたいと感じた。

世の中には様々な理屈が存在する。理屈に立ち向かうには言い訳がいる。理由をつけないといけない。大人なんだから、未来を見据えて考えなければいけない。

でも。本当の気持ちを胸に秘めたまま大人ぶって前に進んだところで、わたしは本当に納得できるのだろうか。

もはやプライドなんて存在しない世界で、今後の事もあるからとか、友達の前で強がったりとか、何の意味があるんだろうか。

どうせすべてわたしの責任。それなら、思うように動いてからでも後悔は遅くないのかもしれない、なんて。子供じみた考えなのでしょうか。わがままなのでしょうか。

言いたいことなんて何も言えてなくて、我慢して、強がってばかりの人生。わたしは本当に、それで幸せなんだろうか。


ずっと先の事について考えてきた。

未来がないとしたら容赦なく時間の無駄だと切り捨てた。成長性がないと思ったらもういらないとそっぽを向いた。ずっとずっと。16の頃から、将来についてずっと考えた。

わたしは今  10年経って大人になって 初めて  未来とか周りとかどうでもいい、ただ好きだから側にいたいと思った

将来性、結婚、あらゆる事柄が交錯するこの年齢になって初めて、そんなの全部どうでも良くて、ただ好きな人と想い合う今を選んだ


「今が良ければそれでいい」なんて、最もわたしに似合わない言葉なのに。

未来を常に想像するわたしが、唯一想像のつかない未来に飛び込もうとしている。


好きな気持ちが落ちてしまってたとしても、そんな事どうでもいい。

今度はわたしが頑張る番だ。好きな気持ちがなくならない限り、想いが通じ合う限りは終わらない、終わらせない。

友達全員に否定された、けど、わたしはあなたがいい。あなた以外は考えられない。



季節は夏を通り過ぎて、このままだと秋を認識しないまま冬になってしまう

秋が存在しているうちに、記憶の中に、あなたが側にいてくれるなら、わたしは、