20代後半は女子ではない

都内勤務OLの日常と所感など

20代後半は女子ではない

恋に仕事に友情に大忙し。

「わたし」はずっと死に続けていた

本日2回目の更新。延長戦。


先週金曜から風邪を引いていたのですが、ずっと治らず、月〜木(今日)まで会社では毎日マスクをしていました。

今朝少しはマシになったので最初マスクを外していましたが、体調を聞かれて本調子じゃないと答えたら、隣の課の男性がマスクをくれました。


マスクをしていると、心配してくれる優しい人たち。わたしは社内の人間がみんな好きです。

髪を切ったら見つけて話しかけてくれる。人の変化に気付ける人って素敵だし、こちらも嬉しいし、わたしもそういう人になりたいと思っています。


ただ、心配をかけたくないから困る事もあります。

たとえば、たまーにお化粧が面倒でマスクをする時があります。風邪か聞かれて、まさか本当の理由を言える訳もなく、やはり風邪と答えるとき、胸が痛いです。

今回のマスクも、2週間ぶりに会った社長に真っ先に風邪か聞かれました。火曜になってもつけていたら、病院に行けと言われました。

念のため、と軽い気持ちでマスクをして、もちろん本調子ではないのですが、自然治癒でなんとかなりそうな時、困ります。誰かの善意に困ってしまうのは贅沢な話かもしれないけど。


髪をバッサリ切ったのも、以前ここで報告した通り過去の自分を変えるため、厄を落とすためですが、そのまま伝えたら構ってほしい・話聞いてほしい感がすごいじゃないですか。

社内恋愛している事を話すわけにいかない。そもそも恋愛していることすら会社の人に伏せてるのに。

だから嘘をつくのです。

「2017年、ついに本気出そうと思って」


風邪を引いていないこと。髪を切ったこと。恋をしていること。

自分の中で、これは善良な嘘なのだと。嘘をついた方が物事が円滑に進むのだからと。

興味のないことに興味を持つふりをすること。明るく元気に振る舞うこと。悲しみを出さないこと。

大人なんだからと言い聞かせて。自分でも感情に気付かないようにしている。見て見ぬふりをして、要らないものを捨てて、善良な自分だけ残ればいいと。


つまらない人間だな、と思います、が、そんな自分になりたいと願ったのは自分自身です。

誰かがそれを八方美人と呼び、気疲れしないのかと聞き、何を考えてるか分からないと言う。

わたしが前髪をおろす理由は、誰にも心の奥底を見られたくないから。いつも眉間にしわを寄せてるのがバレるから。眉毛がハの字になってしまっているから。

そんな理由でさえ、やっぱり他人に告げるときは「前髪をおろした方がかわいく見えるから」。あぁ、またそうやって偽って。


自分の嫌いなところなんて数えたらキリがないです。

どんくさいところ、中途半端な顔をしてるところ、忘れっぽいところ、怒りっぽいところ、すぐに太るところ、極端なところ、毛深いところ、熱しやすく冷めやすいところ、打たれ弱いところ、逃げ出し癖があるところ、恋人に依存してしまうところ、極度の心配性なところ。

でも唯一自分を褒められるところがあるとしたら、明るく振る舞えるところです。

嫌だな、つまらないなと思う一方で、望んだ通りの結果になった自分に満足もしている。

普段マイナス思考の塊の自分も、恋人の前だけで見せるだらしない甘えた自分も、みんなの前で見せる明るい自分も、全部自分だと、ある種受け入れてる、俯瞰した自分もいます。


恋人の趣味を知ろうとして、自分もその趣味にハマることも、嫌いじゃない。

だけどそれって。

時々本当に趣味にのめり込むけど、別れたら元彼のことを思い出してしまうから、触れないようにするんですよね。

なんてつぎはぎだらけの自分なんだろう。

その時付き合っていた恋人に左右された自分は、恋人と別れた時点で消滅する。死ぬのです。

また新しい恋人を作って、また新しい趣味が出来て、また新しい自分になります。

けど、その自分も別れたら死ぬ。そんな事を、もう何回も、飽きずに続けています。繰り返すうちに感情や痛覚すら死んで、死んだときの痛みを思い出せないのかもしれません。


恋人と別れたとき、何かしら自分に非があることは間違いないので、別れた後にじっくり考えます。次は絶対に繰り返さないぞと誓って。

けどまた新しく好きになりかける人ができたとき、わたしは付き合う前の甘美な日々に、死んだ自分のことを忘れます。

死ぬときの痛みはひどく、ずっと後遺症として残り続けるのに、新しい恋が大切な事を隠してしまう。

そしてその恋が、その恋をしていた自分が死んだとき、後悔や決意という形で、また傷になっていく。

ずっと傷跡は残っているはずなのに、恋をしている間だけ途端に見えなくなってしまう。

周りが見えなくなるほどの恋をしていると言えば聞こえはいいですが、そんなロマンティックなものではない。

わたしにとって恋とは、愛とは、一時的に嫌な事を忘れさせてくれる、楽しい気分になるドラッグと変わりないのかもしれません。


人間は、そんなに簡単に変わりません。このスタンスで10年生きてしまった。自分のわがままが通る世界を生きてしまった。

距離を置いてる間、何度自分の中で変わらなきゃ、こういうところが変われた、もうこれは繰り返さない、と思ったか知れません。

けど恐らく、恋とか愛とか甘美なモノが、またわたしの痛覚を鈍らせる。


わたしは自分の事が嫌いですが、きっと恋人に愛されている自分のことはとても好きなのです。

恋人をひとりの人間として見ず、ただ「わたしを愛してくれる人」としか認識していない。

自分が悲しいときにとまれる枝みたいに。愛してくれないのなら次の枝に行ってしまう鳥のような。

そんな人間に到底結婚なんて無理だなって最近になってようやく気付きました。わたしはそんな自分を変えたい。心から思います。

恋人が自分を好きじゃなくなっても、わたしは好きでいつづける自信が、正直ありません。


「恋人」としてではなく、「ひとりの人間」としてちゃんと向き合いたい。顔とか地位とか名誉とかお金とか何も前提なく、恋人を愛せるか。

容易に首を縦には振れないので、じっくり考えてみたいと思います。どうせしばらくまだ距離を置くだろうし。


今のわたしはとまり木がなく、とても不安定です。

甘美な生活もなくなり、この喧嘩して連絡を取らなくなってからの2週間で、必死に毎日自分を探しました。

その結果、実は1人でも生きることができる自立した人間であることが分かりました。誰かがいないと絶対無理と思っていたので、とても大きな発見です。


次は、恋人と自分について考えてみたいと思います。わたしにとって彼でなくてはだめなのか。

これまで蓋をしていた恋愛も、せっかくの機会なので思い出して、過去の男なんて思い出す価値もない、ではなく、そこから学んだこと、良くなかったこと、今後活かしたいことについて考えたい。

恋人と付き合っている間に過去の男を思い出すなんて失礼だから今までしなかったけど、冷却期間のあいだだからこそ出来ることだと思う。


全部考えて結論まで出した上で、改めて自分のことと彼とのことを考えたい。

まだまだ時間はかかりそうですが、辛くなるから思い出すのをやめるのではなく、ちゃんと過去の自分に向き合わないと、彼と、今の自分と、向き合うことなんてできないと思うから。


日々は長く感じますが、俯瞰するともう2週間経ったのかと、あっという間に感じます。

あと60年生きるとして、60年分の2週間なんて全然大したことない。これがもし60年分の1ヶ月やそれ以上になったとしても、今自分と向き合うために振り返る時間を取る価値はあると思います。


まだまだ頑張れる。頑張ろう。恐れずに結論を出そう。



ちなみに、やっぱりここ数日熱っぽくて、今日も帰る頃には頭がすごく重く、37.3度出ています。

課長には午前中病院行くから休むかもと伝えてありますが、今のままの体調だと午後も会社に行けそうにありません。

先々週夏休み、先週有休、そして今週の金曜日は風邪で休むのかな。わたしは今月何度目の連休だろう。

こんなに夏休みを取っても楽しいことなんてほぼありませんでした。2017年の夏は過去に類を見ないほど退屈したし、夏らしいこともほとんど出来ない、後悔の残る季節になってしまいました。

秋に期待するとともに、まずは風邪を治すところから始めたいと思います。午後は会社行けるといいなぁ…